A  「馬心」とはこんなもの

 

    ● この章は、おもに「総論」についてです ~ 人が考える「馬心」。

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A 1  ビギン・ザ・ビギン  (まず、最初に)

A 2  馬の心の成り立ち

A2 成り立ち

A 3   心 しだい !! 

A 3 心 しだい

      <アレキサンダー大王

 

古代マケドニアでの話。フィリッポス王に献上されたブケファロス号は蹴ったり立ち上がたりの 暴れ馬なので殺処分(あんらくし)される所だった。居会わせたアレクサンドロス王子が進み出て沈静化させたばかりか騎乗して見せた。 後に、このブケファロス号に跨って大帝国を建てて アレキサンダー大王と称賛され歴史に名を残した。      この時、アレキサンドロス王子は 騒ぐブケファロス号を太陽の方向に向けただけだった。何故なら、ブケファロス号が自分の影に怯えている事を見抜いていたから。王子はクセノフォンの「馬術」と言う最古の馬術書を熟読し、馬の心理を理解していたからである。さらに、つけ加えると、その後、このブケファロス号は素直で誰でも騎乗させたが、盛装したらアレキサンダー大王以外は乗せなかった。テーベ攻略の時ブケファロスが受傷したから、大王は他の馬に乗り換わろうとしたが、ブケファロスは承知せず、そのまま乗せ続けた。「ブケファロス号が死んだ時、大王はこれを祀り、その墓の周りに ブケファラと言う名前の町を造った」ことは有名な話として伝えられている

A 4   騎手と脚質

          <各国の競

 

 アメリカの競馬は短距離競走が多く、肢抜けの良い馬場でスピードに任せて 突っ走り、息[呼吸]が持った馬が勝つ先行逃げ切り型が多くて単純。ヨーロッパの競馬は力が要求される馬場で余力を蓄えながら走り最後の直線での勝負に賭ける「上がりの競馬」が 多い。その点、日本の競馬は「逃げ切り」もあれば「追い込み」もあるので賭けの対象とせずに見ているだけでも面白い。JRAは世界中で一番面白い競馬を施行していると思うと事情通の友人が話していた。私も同感です。訳知り顔の競馬ジャーナリストから聞いた事はありませんが。

A 5  競走中のパフォーマンス①

         <火事>

 

中山競馬場の独身寮に「厩舎が火事だ」との電話があり、急ぎ駆けつけた。直ぐに消え小火(ボヤ)で済んだが、厩舎人は<厩舎火事の悲惨さ>を知っているから、皆、素晴しい働きをした。 “火事に遭うと、馬は恐怖心から萎縮して自分の馬房から動かない”と言う話をよく聞く。 事実、この時の数年前に、中京競馬場の厩舎火事で沢山の焼死馬が出て、助かった2頭の馬が桜花賞(コウユウ)と宝塚記念(ダテホーライ)に勝ったので、恩返しをしたと人口に膾炙した。  後に、関西勤務となり、その関係者との交友も出来たから、詳細を聞きたかったが、時間も経っていたし、西部劇や若尾文子の映画のとおり「一番安心出来る自馬房から動かない筈だし・・・・・」と思い 聞きそびれた。

      競走中のパフォーマンス ②

      競走中のパフォーマンス ③

     競走中のパフォーマンス ④

A 6  競走中の心因性異常行動

         血統書

 

昔の日本人は色彩感覚が豊かで、馬の毛色の分け方も沢山あって百種類近くあった。(厳格な血統登録をする)サラブレッドの広がりと共に大まかな英国の分け方が世界中で一般的となった。 また、それぞれの馬を見分ける手段として、この毛色が利用されているが、さらに白徴旋毛などで補ったり、刺青とか烙印など各国それぞれ色々な方法が採られている。  我国の血統書は 性・毛色・先天的特徴・父母の血統などを記載しているが、特徴が少なく血統書に「鹿毛・珠目正」とのみ記載されたサラブレッドが3%いると言われている。すると、毎年2000頭以上が登録されるJRAには、血統書の記載が同じ競走馬が60頭もいることになる。そこで、マイクロチップを鬣の根元に埋め込む方法が検討され2007年から実施された。ちなみに、公認第一号はフランスに遠征するので実施されたディープインパクト号とのことである。

 

          <基本がすべて>

 

第一次世界大戦中、高名なドイツ人馬術家が捕虜になっていることを知った人が手を尽くして、 “新馬の調教”を依頼する事が出来た。収容所から毎日通って来て2時間以上の騎乗調教。しかし、障害飛越競技馬を創って欲しいと依頼したのに常歩(ナミアシ⇒ゆっくり歩く歩き方)しかしようとしない。常歩で前進・停止・前進を6ヶ月、 前進・停止・後退・前進を6ヶ月、巻き乗り・半巻き(曲線運動)を6ヶ月、根気良く繰返しただけ。誰もが不可欠として実施する横木通過どころか 駆歩(カケアシ)も行わない。敵国だから反抗しているのだろうか?と疑ったが、そのまま続けさせた。1年半後に終戦となり、障害飛越を一度もせず、駈歩もしないで「障害馬調教が終わりました」と言い残して帰国してしまった。 疑心暗鬼で騎乗し、障害飛越をさせると素晴しい能力を発揮したとのこと。 障害馬に不可欠な飛越調教どころか駆歩・速歩(ハヤアシ)を全くせず、ゆっくりと歩く常歩だけだったから狐につままれたようだった、との話が学生時代に読んだ本にあった。 今ならば、「馬の心に確実に約束を履行する感度の良いスイッチを作ったのさ」と説明出来るが・・・・・。

 

A 7  理想的な競走馬の性格

          <ゆとり教育の失敗>

 

 「俺、調教師を辞めたいョ」騎手時代には一世を風靡した理論派重鎮調教師が嘆いた。詳細を問うと、「馬主から<千葉のシンボリ牧場が北海道に牧場を開設する資金調達のために優良若駒を放出するらしい。。気に入った馬を購入して調教せよ金額は問わない>と指示され訪ったんだよ。そうしたら、3頭の若駒を見せられて、見事な馬体の黒鹿毛を採ったワケさ。その上、あの快速ハーバーゲイムの弟と言う血統の裏付けもあったんだから。《コレだ》と思うよな。ところが調教を重ねても時計(調教タイム)が縮まらない。馬体は絞れたから、実践タイプかとも考えて使って(出走)みたけど凡走ばかり。捨てた残りの2頭がサクラショウリとアグネスホープでダ^ービーの1・2着になったんだョ。馬主からは<どこのシンボリ牧場に行ったんダ>なんて言われるし・・・・」 その原因を問われた。確かに黒光りする素晴しい馬体だ。「他の馬が3完歩で走る距離を2完歩で済ませてしまうから、稽古が稽古にならなかったのですかネ」と答えるしかなかった。 幼児教育の現場で《ゆとり教育》が叫ばれているけど、聞かせたい話だナ。

A 8   顔が良ければ“スター・ホース”

A 9  何はともあれ、まず 観察

 

  (問) 2頭の馬の“顔のイラストから《性格》を判断して下さい

 

        <日本人は平和ボケ>

 

 競馬学校で実践教育の必要性が求められ、アイルランドの元騎手で同国競馬学校の教官のマイケル・ケネディが来日教鞭を執った。教育が缶詰め状況だから、よく見学に連れて行った。

宮崎育成牧場で体験・見学の後、周辺観光で知覧の特攻記念館に寄り、フリー・タイムとした。生徒達はアイスクリームを舐めながら寛いだところ、ケネディが真っ赤になって怒り始めた。早口で何を言っているのか解らない。結局「君達が平和で豊かな騎手教育が受けられるのも、この戦死した人達が居たからの筈だ。背筋を伸ばし頭を垂れて謙虚に見学すべきなのに、アイスクリームを舐めダラシナイ格好で何だ! ここに祀られている人に申し訳ないじゃないか」との話。引率教官達と顔を見合わせ   日本は平和ボケで彼のような発想が外国では当然の事なんだろうなと話した。

A10  相馬[みため]からの心理傾向

 

相馬(ソウマ)法・・・・・馬の良し悪しを判断する方法のこと。

                    我国では、古来“大坪流相馬法”が有名

       凹背馬>

 

 解剖学では「ロース肉」を最長筋と言うが、その名のとおり一番長い筋肉です。 馬の場合、 頭礎(頭の付け根)から尾の先まで連がっている。騎乗した騎手の坐骨で圧迫されると走り難く痛くなる。このような馬の背骨に沿って手掌を静かに動かすと、ピクつく所がある。その部分に 鎮痛剤を注射する荒療治が一般的な方法である。   ある時、顔見知りの厩務員が「兄弟馬は 皆走ってる[好成績]のに、背垂れ(凹背馬)だから走らない」と泣く。診るから連れて来なさいと言ったら4歳未勝利の牝馬がやって来た。ビタミンとステロイドの施療し、調教時に騎手が坐骨を付けないように、また午後運動は騎乗せず曳き馬で5割増の約束をさせた。すると、10数回凡走を 繰返した馬がコース・レコードで勝ち上がった 「Mさん、走り過ぎて指定採尿[薬物検査]を懸けられちゃった」と報告に来た。幼い時、鞍付け騎乗調教を早期にやり過ぎると凹背になると聞いたが、踏み込みが良ければ決め手を持つ馬になることがあると某調教師が言っていた。

A11   最良の調教方法は?

 

◎ 馬が自分の心で《走るのは楽しい》《走る事は面白い》と感じれば⇒

 

               ⇒自然に “ピッチ(肢の回転数)” が “増加し”

               ⇒自然に “ストライド(肢の歩幅)”“伸びる”

 

※ 「ヨーロッパでは意欲満々の状態をフレッシュと呼んで表現する」と育成研修の

   JRA職員の報告を聞き“なるほど”と納得しました。 

     ヨーロッパの厩舎人の口癖(育成・調教研修者の報告)

       ● 騎乗・運動 ⇒ キープ、フレッシュ(若々しく生き生きと)

        厩舎の中  ⇒ メイク、ハッピー(いつも、心・楽しくあれ)

     

 

       <泣き虫調教師>

 

 競馬開催には三人の獣医委員(A・B・C)が執務します。Aは下見所と馬場、Bは装鞍所、Cは検体採取所が受け持ちで、配下に獣医師・装蹄師などが何人かつきます。装鞍所は出走前の競走馬や馬具・馬装のチェック、検体採取所はドーピング(薬物チェック)を主任務とし、Aが全体を統括します。  ある調教師が厩舎貸与され開業しました。そして、雨の阪神競馬に出走させました。不良馬場で蹉跌し肢を骨折、ひと目で判る予後不良で安楽死のケースです。その時私は、この獣医委員Aでした。この場合の任務は、当該調教師に状況を説明し、理解した調教師の了解のもとに次の展開があります。「早く馬主さんの許可を貰って楽にしてやりましょう」と説得しても、厩務員と二人でワアワア・メソメソ泣くだけ。「気持ちは分かるが、アンタは調教師で厩舎の経営者なんだから、出来ちゃったリスクは出来ちゃったコトとして厩務員に納得させ、善後策を執らないと」との言葉がノドまで出たけど飲み込み、部下に指示も出せず困りました。 こんな場面を沢山経験しましたが、ベソをかいた調教師も何人か居りましたが、大声で泣いた人は彼だけでした。その時は<自分の役目も解らぬ困った調教師>と思いましたが、人間として当たり前の反応で、右から左へと処理してしまう我々獣医師の方が慣れから「人でなし」になっていた事を認識させられました。 その後、その調教師の厩舎は栗東TCを代表する厩舎になり、海外の競走も勝ちました。

 

A12   馬にとっての快適さ

       <水面下の騒動>

 

 小倉競馬場が改築で厩舎が向正面に移転した時のことです。真夏の競馬が再開され、出張滞在する出走予定馬の中に、原因不明の発熱馬が続々発生して、感冒のため出走取り止め・取り消しとなる馬が多発した。「何か伝染病に感染し、流行り始めたのではないか?」と獣医職員達は緊張しました。そこで、新しい場所や厩舎など考えられる原因を一つづつ消去していきました。

到達した結論は単純な事でした。新築厩舎には、夏の競馬でもあり、新規に大型扇風機が常備され、喜んだ厩舎人は、直ぐ愛馬に利用しました。つまり、扇風機の風を直接馬体に当てたため風邪をひいたことが原因で熱発したのです。一度、壁に冷風を当て、壁を介して間接的に風を送るように指導したら、発熱馬は皆無となり、円滑な競馬施行となりました。

A13   ハートを掴[つか]んで

A14    南極のタロー・ジローは感動映画になったけど           (日本人と馬との関り方の一断面)

 

        ※日本の在来馬・・・・古来より日本で繋養されていた馬。次の7種類

              ①木曽馬・長野県、②北海道和種(どさんこ)

              ③野万(ノマ)馬愛媛県 ④対馬馬長崎県

              ⑤御崎(ミサキ)馬・宮崎県、⑥宮古(ミヤコ)馬・沖縄県

              ⑦与那国(ヨナグニ)馬沖縄県

A15   悲しき誤解(馬の気持ちを犬と比較すると)

 

 

 

       ドクター・パークの包帯法

 

         (ペンシルバニア大学、ニュー・ボルトン・センターでの話)

 

    昼食を取ろうと考え、一般外科研究室を通り抜けようと思ったら、              

    Dr.パークが外来馬の左飛節部に包帯を巻こうとしていた。下当てを肢に

    触れる度に患馬は足を挙上する。 しばらく観ていたが「手伝いますよ」と

    言って私は左前肢を持ち上げた。我々《日本の獣医師》が良く行う患馬の安

    静方法である。すると、Dr.パークが「テリー、止めてくれ!」と言う。

    私が「こうすれば、温和しくなり簡単に巻けますよ」と言うと、やや声を大

    きくして「この馬に納得させるのも私の任務だ。時間が掛かっても私の方法

    でやるから止めてくれ!!」と言う。私は肢を離して、その場で見学する事

    にした。Dr.パークが触ると患馬は肢を上げる。そこで、一呼吸して再び

    当てると、とうぜん肢を挙上(もちあげる)する。この繰り返しで2時間、

    とうとう馬も根負けしてDr.パークの勝ち。我々が5分以内で終えること        

    を2時間掛けた狩猟民族的手法に愛馬心を感じた。(この間、私は辛抱出来           

    ず昼食を食べて戻り見物していた) 

    ※私はペンシルハニア大N.B.C.でテリーと呼ばれていた。

 

 

 

(補) 「テンポイント号」の手術が十分でなかったとの批判があったのでASIF(アメリカ・骨折の内副子固定法研究会)のG.ファックルマン座長(ペンシルバニア大学准教授)のもとで骨折の螺子固定法(重症骨折をボルトで固定して治癒させる手術方法)を習得して来るようにとの派遣命令を受け、米国に行った(1980)が、その研修復命書が「競馬資料」として関係者に配布されました。        蛇足ながら、 帰国後に伝達研修を重ねた結果、優秀なJRA獣医職員は、更に研鑽を積んで、ヤマニンミラクル号アドマイヤコジーン号のように施術馬が(ボルトを入れたままで)重賞競馬を勝ち上 がれる程、優れた技術を持つまでになっています