B   生まれつきです。こんな僕(五感と本能)

 

     この章は、主に「各論」~   馬達が主張する馬の心」です。

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B 1 温故知新(ふるきをたずねてあたらしきをしる)

 前頁、“馬の辿った長い歴史”を理解し易いように“一年間”に縮めてみました

 

およそ5500万年前、地球上に馬の先祖(エオヒップス)が出現してから現在までを一年間であるとすれば、つまり、1月1日午前0時に馬の先祖が出現したとして現在の馬の状況を12月31日午後11時59分59秒であると仮定すれば野生馬が人間によって家畜化されたのが12月31日午後11時30分大晦日・恒例の紅白歌合戦で国民的大歌手がトリを務めて歌う頃です。 さらに、サラブレッドが誕生したのは除夜の鐘が鳴り始めた頃となります。

 この間の馬の歴史は、身体の変化(大型化と肢指数の変化)が化石発掘などで確められてダーウインの進化論の例示として話されています(進化論は間違いだと言う説もあります)。  閑話休題ーー[蛇蝎の如く嫌う]と言う言葉があるように、殆んどの人が毛虫やサソリ・蛇などを嫌います。これは、遥か昔に、我々の祖先がこれらの生物に苦しめられて困った経験が<潜在意識>として心と行動に反映されているからだ、と言われています。

 同じことが「馬」にもあるかも知れません。だって、その歴史を一年間(8736時間)に 短縮したら、人間との協力関係は“30分”だけ、サラブレッドに成ってから「たったの4分」しか経っていません。だから、馬の心理の中に“過去の影”が反映されている筈です

          <春よ、来い>

 

 「教官達の先生を~」などと言われて競馬学校に奉職したが、独特な論理と人間関係があり上手くいかない。その当時、競馬社会全体の課題だった「強い馬作り」や国際化」などと話しても対岸の火事で乗って来ない。その頃の競馬学校では、年間100名以上の卒業生があった。そこで「馬の心が判る厩務員毎年10人作れば5年で50人、6年ならば60人となる。 仮に、そんな優秀な厩務員が東西のトレ・センに30人づつ所属しているとして、その人達の3人に1人が期待どおりに愛馬の調教に成功すれば、シンボリルドルフ・ナリタブライアン級の競走馬が東西に10頭づつ在籍することになり、国際化して強い外国馬が押し寄せても困らないし負けない」と説いたが無駄だった。

それならば馬の心が判る厩務員を毎年10人作る」ことを自分自身への義務(掟)と決め一人で頑張ったあれが白日夢だったと思いたくないネ。今でも、きっと大輪の花が、あちこちで咲くと信じているのだが・・・・・ 。 春よ、来い。

B  2 「家畜化」されて心(き)が変わる

          <プシヴァルスキー馬>

 

 昔、旧ロシアの探検家プシヴァルスキー(古い本にはプルツェワルスキーと記されています)が蒙古を探検踏破中に《蒙古野馬・・・プシヴァルスキー馬》を見て「馬は美しい動物だ。あんな不細工な馬が居るわけがない。あれはロバだ」と言った。このプシヴァルスキー馬が絶滅したと言われ、世界中の動物学者が動物園などに飼育する馬匹を根幹に、その特徴を持つ混血馬を交配させて復活させるべく努力を重ねているが、チェコのプラハ動物園が厳格な血統登録センターとなっている。千葉市立動物公園では東欧系統のプシヴァルスキー馬を導入して飼育を行ったら、我国初の仔馬が誕生し<JAPAN-1>として国際登録された。ところが、動物園育ちの母馬は育児が分からず驚いて仔馬を踏んでしまい歩行が不自由で展示出来なかった。

 貴重な馬で人工哺乳で育てられたので人に対して警戒心がないとの話でもあり、馬事公苑で貰い受けてポニー厩舎に入れた。少年団の子供達に“一馬(かずま)”と名付けられた“JAPAN-1”の成長は次の頁のとおりで、多くの示唆を示している。 蛇足ながら、某TV局が半日ほど密着撮影をした時から凶暴になった。放牧場の外でビデオ・カメラを構えるクルーに悪戯をしたらしい。大げさに怖がるのが判り、直ぐ学習し凶暴化した。  ある時、今朝、亡くなったとの連絡を貰ったが「国際的に登録されている馬だから千葉市立動物公園と仲介の労を執って頂いた増井光子先生への連絡に遺漏ないように」と依頼した。

 

B 3  過去からの習性

           <障害競馬>

 

 ヨーロッパではキリスト教会を中心にして街が出来たとの事である。近隣の町のシンボル(教会の尖塔の十字架)を盗む悪戯に起源をもつスティープル・チェイス”と言う馬術競技がある。これを範として導入発展させたのが我国の障害競馬競走である。しかし、開催コストが極めて高く、出走馬の変化も乏しいので中止させたいと考える人が多かった。中止含みの説明を受けた理事長が「すると、障害競走と言う競馬文化が消滅するんですか」と話された。 それから、障害競走振興の協議が始まった。人事異動が決まっていたので私案を提出して他所に転出した。私案の内容は中継カメラの低アングル撮影など直ぐ実行出来るもの、障害物の側に観客席設置など施設改善(中期的施策)、欧米のようにアマチュア騎手も参加出来る障害競馬(将来展望)3ステップに分けた素案だった。  一部は実施されたようだが・・・・・

B 4  思考は野生馬時代に直結

 

 元来、“野生馬は《群》を作り”体力・気力が優れ群を安全に導く智恵と経験の

持ち主持ち主《群のリーダー》となった。  さらに、群の秩序を維持するために、必ず、  

 <牡>・<牝>別に席次が決まる。この席次(序列)は、気力や体力の強さで決まり

良い子孫を残すためのルールだった。 生活振りの変った現在でも本能として残り

サラブレッドの行動原理の一つでもある

 

この階級序列は“鳥の観察”で発見されたので 「突っつき順位と動物学者は言います 

                      

                      ◎ 映画シリーズ“男はつらいよ”の主人公   

                       「フーテンの寅」の恋心は成就せず、必ず

                        やせ我慢をして旅に出て話が終わる。

B 5  牡の考え・牝の感じ方

                    <訃報>

 

 話をした事もない北海道の種馬所々長の訃報が届いた、私より若いのに。JRAの生産地巡回馬学講座に参加した時、バスが途中の種馬所に立ち寄った。車中で馬事担当理事から「今年輸入して軽種馬協会に寄贈した種牡馬が《蹄葉炎を再発したから種付けが出来ない》と言っているから皆で診てくれ」との話があった。経験豊富な先輩方が大勢居られたから後方で黙っていたが、栗東に帰ってから私が創ったLT蹄油」を送った。暫くして、「お蔭様で種付けをする事が出来ました。良く効くみたいですので、もう少し蹄油を送って欲しい」との礼状が届いたので処方箋も同封した。その後この種牡馬「ノノアルコ号」の産駒ダイユウサク号が有馬記念競走を勝った未亡人の添書きには「主人は貴方様の論文を治療の指針としており、机上に広げてありました」とあった。ずっと昔に発表した「蹄冠部自潰まで進行した蹄葉炎の一治験例」と言う症例報告のことらしかった。あの時に電話ででも連絡し合っていれば、獣医職を辞めたとしても、JRAに居り、もっと協力出来る事もあったかもと残念に思った

   「LT蹄油」の詳細は“掲示板”御覧下さい 

B 6  母方の爺さん(血統と心)

B 7  許す馬・許さぬラバ(騾馬)

          <体型>

 

 昔の英国では、豪州産のサラブレッド「カーバイン号」の写真を見せて「これが理想の体型をしたサラレッドだから、これに似た馬を探せ」と教育したとのことである。さらに、長距離型とか短距離型とかに分類した本も出版されたので、我国にも翻訳出版されて信じられて来た。これは一面では真実だと思うが、スピード競馬時代となって調教法も変わり「小柄でも、不細工でもノーザンダンサー系の馬は走る。今までの常識を変えないと・・・」と、どの調教師も言いました。さらに、サンデーサイレンスの産駒なら何でも、となりました。

B 8  対極にある“馬作り名人”

 

 

滋賀県教育委員会・機関紙「近江教育」から

 

 

           “どうして、どうして、馬心も、奥行きは深い”

 

           

                                      栗東トレーニング・センター副場長 

                                                           師岡輝夫

 

 私は、獣医師として、職員として、今日までに何十万頭もの競走馬の調教(教育)と競馬(教育の成果発揮の場)を見てきましたが、そこには、膨大なドラマがありました

  ここでは、馬の教育ーー調教について、その一端を話させて頂きます

 競馬発祥の地・英国では、馬主や調教師が厩舎を覗き、馬の世話をしている者に「どう、ハッピーかな?」と聞き、また騎乗者に「キープ・フレッシュ?」と声を掛けます。即ち、その馬がハッピーな気分で居るか、動作がフレッシュであるかとの質問です。この「フレッシュ」とは躍動感と走行意欲に溢れる状態を指し、不足の場合は調教せずに厩舎に収容して心身の回復を待ち、十分と思えれば連日でも駆けさせるのです

 我国では「攻め馬」と呼ばれるとおり、体調を整えつつ毎週二回(それも几帳面に木・日曜日などと曜日を決め)限界まで走らせる方法が採られて来ました。鞭で叩いての全力疾走だけでなく、2・3頭で併走させて競争心を刺激する調教が行われ、もし、不真面目な馬が居たら3頭の僚馬を内・外・後に配置し挟んで無理やり走らせると言った荒業のような調教も見られました。犬などと比較すると馬は理解力が低いが、逆に体験した事は一生忘れない習性から出来た調教法で、三つ子の魂が文字どおり百まで決めてしまうので初期教育は極めて重要だからでもあります。 例えば、馬を馬運車に乗せると、緊張して力が入り、つい脱糞してしまう事があります。すると、その馬は、馬運車に乗る度に条件反射的に排泄してしまうようになります悪癖は些細な油断で始まり修正がきかなくなるので、日頃から細心の注意を払い、悪い癖は直ぐ対応する必要があります

 調教師を長とする厩舎関係者は、預託馬を速く走らせる事は勿論ですが、発馬機からの発進、スタミナの温存と瞬発力の発揮、コーナーの走行や騎手とのハーモニー等々、さまざまな課題の克服があり、師匠の教えと自らの研鑽工夫で勝利(富と名誉)を得るために頑張っていました。

 或る時、今では故人ですが、名伯楽と言われた調教師の下に、2頭の名馬が居りました。良血馬「コダマ号」は期待とともに大切に育成され、エリート路線と呼ばれたプロセスをひた走りに進み、沢山の記録を作りましたもう一頭の「シンザン号」は長所も短所もある馬なので期待もされず、心身の成長に合わせて競馬をさせる方針のもとに、強い馬が出走する競走は避け、確実に勝てる競馬をえらんで「勝ち癖」を重ねさせました

すると、勝つ味を覚えたシンザン号は、ゴール前になると少しだけ抜け出して勝つ相手なりの競馬をするようになり、レコード記録は作らなかったものの関係者の夢である五大競走を全部勝ち、我国史上最強馬と称せられ「神賛」と呼ばれるようになりました

 競馬の社会も国際化の時代に入り、欧米に負けない競走馬を育てるために「シンザンを越えろ」を合言葉に、「強い馬作り」が競馬サークルの大目標になっています。

 従来の画一的方法を反省し、個々の馬の個性を見極めて鍛え育てるため、調教方法も多様化しました。一番の変化は、調教騎乗者と世話をする人が別人と言う分業されていた今までの労働形態が「世話をする人が調教騎乗する」ようになったことです。馬にとって、給餌や手入れをしてくれる人は絶対者(ボス)です。従って、ボスを背にすれば、自らの

意思で走ります。馬が自分の意思で走れば、自然に正確でスムーズな無駄のない走行フォームとなり、強制されてギクシャクした走行フォームよりもスピードがあり、しかも故障しません。

 今、栗東トレーニング・センターでは「走る事は楽しい」・「調教は面白い」と愛馬に教え込む努力が盛んに行われています。この流れが、関西馬の好成績に連がっていますが、滋賀県で育まれた競走馬が海外で雄飛して、欧米を席捲する日も間近かと思われます。

 

 (栗東市・金勝小学校、教頭・松本耕造先生の依頼を受けて、滋賀県教育委員会の機関紙

  「近江教育」の平成9年春号に掲載された。    その後、滋賀県・小学校用副教材  

  《生きる力を体験から知る》に収められて活用されている、との事である)

 

 

 

          <喉元すぎれば>

 

 道路網が整備されて馬運車での輸送も楽になったし、馬への負担も減った。若駒にとって、牧場・育成場からトレ・センへの旅は“不安と緊張”の連続で興奮しっぱなし。良く見られるのが、全身発汗から熱発(感冒)になるケース。昔、21時間の車内拘束で発症し始め、23時間経過すると、ほとんどの馬が熱を出すと言う調査報告があった。その話を聞き、殆んどの競走馬が北海道産だから、函館競馬場に集めて入厩検疫を実施したら輸送熱の解消が出来るのでは?さらに様々なメリットもある筈と栗東・防疫課長時代に提案したが・・・・・。  函館競馬場と言えば、出張者の寮は温泉で、仕事を終え寛いでいたら、「助けて」と馬運車運転手の悲壮な電話。フェリー埠頭に急行し、馬運車の中で「食道梗塞(のどづまり)」の治療に当たった。車中で興奮した馬が騒擾(さわぐ)するので干し草などを与えたら、喉に詰まってしまい、苦悶で大暴れ。この処置は鼻孔からカテーテル(ゴムのチューブ)を挿入して<詰まった乾草>を胃の中に押し込むか、吸い出すと言う乱暴な方法である。フェリーの出航時間は迫って来るし、馬は苦しがる。気持ちは焦るが処置はなかなか上手くいかない。船会社の係員も覗きに来る。「もう少しだから」と運転手は拝んでいる。「次の便でも止むを得ないネ。治す事が先決だから」と言いながら治療を続けたら何とか間に合った。  その後、輸送会社も何も音沙汰なしで、あの苦労はタダ働きだったとのこと。マア、昔から「喉元過ぎれば、熱さ(痛さ)を忘れる」と言うけど本当だネ。

 

B 9  パッチリ お目々でも弱視です

B 10  目で感じるんです、危険を

B 11  遠くを見たけりゃ頭を下げる

B 12  “暗闇(くらやみ)”は調教の“光明(あかり)”

B 13  近代史上、有名なレーニンの封印列車。 名種牡馬プリメロだって、そうなのです。

 

昔、競走馬生産の双璧は下総( 千葉)の御料牧場と雫石(岩手県)の小岩井農場だった。その小岩井農場が、サラブレッド(競走馬)の生産を中止した時、繋養していた名種牡馬《プリメロ号》が売りに出された。我国の競馬史上に金字塔を立てた大種牡馬で、誰も皆、欲しがったが、悪癖馬だから誰も購入することが出来なかった。そこで、青森の東北牧場が廉価を提示の上「貨車の中に追い込むこと」を条件に申し込んで合意した。その話を聞いた人は「大変なことだゾ!。ケガ人が出るし、プリメロ号も青森まで連れていけるワケがない」と誰も笑ったそうだ。  プリメロ号はそれほど酷い悪癖馬だった。

B 14   耳で見る (耳で識別する)

 

夏の夕方になると蝙蝠(コウモリ)が飛び廻ります。モノを投げると餌の虫と間違えて追いかける習性があるので、小さいモノを投げて遊んだ経験がある人も居ると思います。

 

 乗馬競技会の障害飛越を観ていると、突然、途中から“鼻ブルイ音”を鳴らし始めるが頻繁にあります。その場合「障害物に肢を当てる」など、馬にとって危険な事態が 発生したからで、慎重な飛越をするためにこの音波探知をし始めたからです。 

B 15  “舌鼓”は馬の行進曲

B 16  声や音による“意思の伝達”    ①

B 17  そこ、そこを触って

 

                咬まれ嬉しい部分

B 18  敏感な皮膚・鈍感な皮膚

          <蹄底の耳>

 

 毎日、鉄匙(てっぴ=うらほり)でガリガリ掘られている蹄叉だが微妙な振動を判別する事が出来る。床の振動が1000サイクルと1025サイクル/秒の違いを判別したと言う報告があります。東京の馬事公苑には元競走馬だったサラブレッドが乗馬になって沢山飼育されています。別れて5年経った元・管理馬を尋ねた厩務員さんが、厩舎地区を探し始めたら、50メートル以上離れた放牧場の中の1頭が鳴いて所在を知らせたので、直ぐ、再会出来た場面に遭遇した事があります。

B 19  グルメ(食通)って何のこと

B 20  香水!  ボク笑っちゃいます   

B 21   けツ、けむツ、煙(けむり)の匂いだぞ。 危険信号だ!!

B 22  おうち(厩舎)の匂いがカーナビです

 

《ある獣医師の話》 俺はネ、若い頃、道東(北海道東部)で牛の臨床をしていたんだけど 冬季の移動は馬橇(ソリ)しかなかった。牛の牧場を廻って治療や出産など、深夜になる事も珍しくない。そんな時の帰り路は、宿舎の方向に馬を向けて歩かせ始める厳寒の牛舎の中での仕事だから、振舞い酒を飲みながらになる。成就した満足感で「ホッ」とする橇の上酒が効いてきて直ぐに寝込んじゃうわナ。  健気な馬は、一直線に自分の厩舎に戻る 雪明かり」などと言ったって、全く何もないから見当もつかず、馬の帰巣本能に任せるしかない。ぐっすり寝込んでいると「ガタン」と音と振動がして目を覚ます。 愛馬が厩舎に入ったわけだ。馬は自分の厩舎の匂いを嗅ぎ分けて帰ると聞いてたけど、雪以外には何も見えないし匂いもない。たいした能力と驚いたけど、有難かったネ。

          <新建材でジンマシン(蕁麻疹)>

 

 生まれ育ったのはアニメ「となりのトトロ」の舞台になった長閑な田舎だった。 小5の頃、山羊を飼っていて、いつも遊びに連れて行き野草を喰わせた。冬には青草がないので樫に葉などをやったが、ある時旨そうな葉を食べさせたら酷く苦しみ始めた。親父に見せると「馬酔木(アセビ)だから死ぬかも」と言う。居合わせた近所の人が「今、処分すれば・・・・」の話に抗議して、その場を離れなかった。でも助からず、泣きながら小川の土手に埋めた。野生の山羊なら危険を察知して空腹でも食わない筈だ。家畜化されて嗅覚など本能が鈍化しているのだろう。馬も同様で、ある時、元オリンピック選手から電話で相談があった。「サラブレッドを始め他の馬は何でもないのだが輸入馬一頭だけ蕁麻疹が出て良くならない」と言う。給付する飼料など、あれこれ聞き合わせたが原因は思い当たらなかった。変わった事と言えば、厩舎を改築し、繋養馬は、皆ハッピーだとの事だった。細かい発疹が発生と消失を繰返すとの事だし、新建材の使用の有無を確かめると、利用していると思うとの事だった。   「そんなに馬の嗅覚は敏感なのだろうか」「個体差があるから~、羽目板を剥がして炭を入れる。ホーム・センターに竹炭などあるが生産者を探して売れない粉末炭を手に入れたら。その作業が終わるまで昼夜放牧でもしておいたら良いと思う」。それらの方法を採ったら治癒したと聞いた。

B 23  馬の鼻は雄弁家

B 24  耳は感情の灯台 <耳ことば>

          <雨ツブが嫌い>

 

 走法や体型・蹄形などが原因で重馬場(むかるみ)を苦手とする馬が居る。重賞競走勝ちの実績があり、種牡馬となったトレンタム号は“重上手で重下手”だった。単なる泥濘馬場は苦にせず、快走して勝ったが、良馬場での競馬でも耳に雨滴が落ちると走る気持ちを失い凡走したつまり、馬場は選ばず、ただ耳に雨がかかったら「やる気喪失」と言う競走馬だった。

こう言う話が、競馬予想紙の厩舎情報なんだと思うけど、見たことないなア。

B 25  尾は口ほどに物を言う

          <付け尾>

 

 現在のような「競走馬の自動車輸送」が、ようやく一般化した頃の話。当時は、入厩が早く、一歳の秋から競馬場に入り調教した。その頃は高速道路もほとんどない道路事情、さらに騒音の大きな馬運車での旅は、若駒にとって難行苦行の苦痛な旅。熱発するのは当然の事。佇立に耐えられず、“尻懸い”にもたれて褥ソウとなる若駒も多数あった。ある若駒は、その傷が染毒して尾が短くなってしまった。関係者は可愛そうに思い付け尾」を「作ってやったところ、走行バランスや意思表示には不十分だったが、蚊や蠅を追うには十分だった。

B 26  おひかえなすって。 手前、生国は北海道です

B 27  馬には悪霊が見える

B 28  愚直・・・・・・[馬の本音]

B 29  サラブレッドは中距離走者

 馬は肉体的にヒトの2倍に相当するとの話が動物学者の定説とのこと。サラブレッドだけでなく馬が無呼吸で走れるのは4ハロン(800メートル)、従って1マイル(1600メートル)が肉体的な適距離だとの説がある。つまり、マイラー(1マイル前後の競馬が得意な馬)が

サラブレッドの本来の姿だと言うわけだ。

B 30  シンクロナイズ<同調>呼吸

 

馬が走る」と言うことは「馬体の伸縮を繰返す動作」と言い換えることが出来ます。

 この伸縮動作は呼吸と同調(シンクロナイズ)しています。       

 従って、肢の動きを見れば呼吸の状態が判ります。

          <無呼吸疾走>

 

 カール・ルイスやボルトを始め、短距離のエキスパートは100メートル競走では“無呼吸で走り切る”と言われている。馬は緊急時には3~4ハロン(800メートル)を無呼吸で走り、超短距離型の肉食獣の攻撃を振り切って来たと成書に記してある。競馬開催で走路監視委員に従事したので寒冷時の白く吐く息で確かめると2ハロン(400メートル)足らずである。騎手達に問いても同じ答えが返って来た。すると、競走馬にとって、競馬は緊急時ではないんだろうナ、きっと。

B 31  無くて七癖・馬の五癖

          <象使いの養成>

 

 俗に言うハコモノの建設が盛んだったバブルの頃の話。新設の公立動物園の園長が訪ねて来て言った。「私の動物園も何か特徴を示さねばならない時期が必ず来ると思う。そこで、いろいろ考えたが手に入り易い<象>を利用しようと思っているのです。私の知る限り優秀な象の管理者は、皆、馬で学び、馬の調教の上手な人が成っているのです。馬の調教と象の調教は共通項目が沢山あるんでしょうネ。その時が来たら、うちの職員に、馬の調教方法の訓練をして貰えませんか」。宿泊施設もあるから、喜んで協力する旨の返事をしたが、沙汰やみになった。

B 32  名前のとおり“愛”を知る馬~キンツェム号

※キンツェム(KINCSEM)・・・ハンガリー語で「ねぇ、お前」と言った意味の

                 親愛な呼びかけ

 

 貨車に乗ってヨーロッパ中を転戦し54戦全勝の負け知らず、《ハンガリーの奇跡》と評された栗毛の牝馬 キンツェム号(父カンバスカン 母ウォターニンフ 1874年生)は、人と同じ感情を持ったサラブレッドだった。さすが(東洋系)狩猟民族マジャール(ハンガリー)人の馬と賞賛されるが、英国からの輸入馬の産駒で調教師・騎手・厩務員も英国人だった。 4シーズンの競走成績と5頭の産駒を残して、13歳の誕生日に死んだ。 生まれ暮らした タビオ セント マルトン牧場周辺は、何度も戦場になったが、産駒を通じて子孫は拡がり 東欧の有力馬で血を受け継がない馬はいないと言われている。

 「愛情を理解し行動した馬」として、多くの逸話が残っている。           ハンガリーの政治体制が変化しても、記念切手など今でもハンガリーの誇りとして讃えられている

B 33  馬 特有の行動特性